リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > 2015年08月20日更新分(2/3)

《第56問》
1750年にコヴェント・ガーデン劇場でロミオを演じた名優で、それと時を同じくしてドゥルーリー・レーン劇場でロミオを演じたデイヴィッド・ギャリックと人気を競い合った人物は誰か?

正解

不正解

解説

スプランガー・バリーは、1746年頃からロンドンで活躍し始めたアイルランド出身の俳優で、デイヴィッド・ギャリックのライバルとなった人物。ダブリンにて成功を収めたバリーは、ロンドンの演劇界に華々しくデビューを果たし、ドゥルーリー・レーン劇場でマクベスやハムレットを演じて頭角を現した。その頃、同劇場の経営者の一人となったギャリックは、バリーの存在を意識し、自らもこれらの人物をバリーと交代で演じた。ギャリックの支配から独立し、ジョン・リッチが支配人を務めるコヴェント・ガーデン劇場に移ったバリーは1750年9月を契機に、ロミオ、リア、リチャード三世を次々と演じた。するとギャリックもこれに対抗して同じ人物を演じ、バリーと人気を競った。バリーの演じた人物のうち、特にロミオが好評を博し、ギャリックもこれに対抗したため、ロンドンの二大劇場が『ロミオとジュリエット』で客を奪い合う事態へと発展した。これが、俗に「『ロミオとジュリエット』戦争」と呼ばれる出来事で、作品の受容史における重要な出来事の一つとして記憶されている。

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1748年に初演された「ギャリック版『ロミオとジュリエット』」では、ギャッリック自身がロミオに扮することはしなかった。しかし、1750年にコヴェント・ガーデン劇場でバリーがロミオ役で舞台に登場して注目を集めると、ドゥルーリー・レーン劇場のギャリックも自らロミオを演じ、対抗したのである。当時の記録によると、同年に行われた十二日間の連続公演の間に、「最初の三幕はコヴェント・ガーデン劇場でバリーの魅力たっぷりのシーンを好んで観ていた観客達は、最後の二幕はギャリックの演じる幸薄い恋人を描く悲劇的な場面を観るために中座し、ドゥルーリー・レーン劇場へ向かった」という。また、ある女性観客はこのように述べたという。

「もし、ギャリックがロミオで私がジュリエットなら、彼が壁を登ってバルコニーにいる私のもとへ来てくれことを期待するわ。だって、燃えるように情熱的なロミオなのだもの。でも、バリーがロミオで私がジュリエットなら、私は絶対にバルコニーから降りて、彼のもとへいくと思う。優しくて、雄弁で、そして、うっとりしてしまうロミオなのだもの。」

ギャリックのロミオを今に伝えるベンジャミン・ウィルソンの絵が存在することは、既に述べた。一方、バリーのロミオについては、ちょうど同じ頃に描かれた版画(R.パイルの作品を下絵とするウィリアム・エリオットという版画家の1753年頃の作品)が、ハーヴァード大学ホートン図書館の劇場コレクションにある。
 名優ギャリックのライバルとしてのバリーの地位は、1758年に彼が故郷アイルランドでの劇場への投資事業に失敗したことを契機として翳りを見せ、その後、彼は、暫くの間、ギャリックのもとで働くこととなった。

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