リベラルアーツ子ども検定クイズ占領期米国教育使節団 > 2017年11月16日更新分(1/1)

《第78問》
第一次教育使節団報告書は、日本の「高度に中央集権化された十九世紀の型に基づいた」教育を批判し、文部省の行政的管理権の削減を勧告して、「公立の初等および中等教育の管理に対する責任は都道府県および市町村に委せられるべきである」とした。使節団はまた、教育の地方分権化を求め、教育委員会(board of education)の設置を勧告した。草の根民主主義の考えのもと、教育委員は一般民衆の投票(公選)によって選出された公民で構成されるよう勧告している。旧教育委員会法は1948年7月5日に成立、同15日に公布されたが、その内容で一番問題になったのはどれか。

正解

不正解

解説

地方教育委員会の人事権、委員の選任方法、委員の無報酬、委員会の設置単位なども問題になったが、とりわけ現職教員が立候補し委員になることを文部省もGHQ/CI&Eも懸念した。原文には“They should be elected on a nonpartisan ballot…”つまり「党派にとらわれてはならない」の文言があった。日本教職員組合、政党等が組織的に動き、政治色が濃いものになるとの懸念からであった。第1回の教育委員選挙は1948年10月5日に、各都道府県と五大都市、それに21市14町9村で実施された。投票率の全国平均は56.5%であった。都道府県レベルでは当選した全委員276人のうち95人が現職教員であった(「日本統計年鑑」総理府統計局、1949、408-9頁参照)。占領終結後、教育委員公選制は占領政策見直しの最重要課題となり、1956年6月30日、公選制を任命制(当該地方公共団体の長が議会の同意を得て行う)に改めることを定めた「地方教育行政の組織および運営に関する法律」が制定された。なお、1981年1月から1993年1月の間に、東京都中野区教育委員会では、区民が委員を選挙し、区長がその結果を参考にして任命するという準公選を4回実施した。選挙なしで任命された委員もあった。「投票率は第1回の1981年1月告示が42.9%、第4回の1993年1月告示が23.8%であった。問題は、区民の盛り上がり、政治色がでるなどの理由」(2013年9月20日中野区教育委員会事務局による)であった。

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